【合格を目指せる読解精度を確かめる方法】

「マインドマップ資格試験勉強法」改め
「NLP資格試験勉強法」公式ブログ版2023年12月8日号
本誌はNLPの観点から合格を目指せる勉強法を提案します。

合格者は自らがこれ自身になれる勉強を行えた。
NLPはその人たちに共通する型・パターンにも注目する。
合格を目指す貴方にその型を提案することで合格達成を支援します。

こんにちは。
NLP資格試験コーチの近藤です。

当地は暖冬ぎみの毎日。
とは言え、時は既に師走。
走り回りたくなる程の多忙さ。

ご多忙の折、
勉強の調子はいかがでしょうか。
前回に続き参考書などの読解は順調ですか。
そう問いかけて返ってくる声は以下のとおり。

「読めているはずだけれど要点を暗唱できない」
「読めているつもりなのにポイントを書き出せない」
「もう○回も読んだけれど例題や過去問を解くと何だか駄目」

そのお嘆きを深掘りすると、「意味の分からない言葉は調べている」「順接や逆接などの接続詞にも注意して読んでいる」との声が返ることが多い。なるほど、ご案内した読解の手始めを順当にご着手である。そうであるにも拘わらず、読解の不調が散見されるのは何故か。これを解消するにはどうするのか。

今回は参考書や法令集の読解、その不調を解消する手段を確認したい。

結論

その方法とは・・・。
「音読」から始めること。
極めて大事なので繰り返したい。
目にした文章を「声を出して読む」のだ。

そう聞いていかがだろうか。例えば、「音読なんかしなくても読めてるよ」「声に出して読まなくったって中身は分かるわ」と異論はあり得るだろう。反感を覚えるだろう諸氏は立派な大人であろうから、「小学生みたいな声出しの本読みはしなくても読解はできる」とのお考えであるかも知れない。だが、そうすることは本当に読解に於いて最初の一歩となっているのだろうか。

「音読」から始めることの背景

想起したことがある。それは、語学学習で正確に発音(母語話者的に音読)できない単語はこれをネイティブが発音したとしてもヒアリングできない。自分なりの誤読で単語の意味を正しく暗記していたとしても、ネイティブである相手の発音から意味も取れない。この状況が会話において意思疎通に支障となることを多くの指導者が嘆くことだ。

また、内田樹先生のブログを拝読していて印象に残った一節がある。それは「『破たん』を『やぶたん』と読んだ大学生がいた」の一文である。『やぶたん』のよみから辞書を引き意味を正しく捉えることもできない。人に「やぶたんってどんな意味なの」と問うても、問われた側は戸惑い教える事ができない。要するに言語として機能せずその読みに拘わる思考は「破綻」する。

人の言語習得(ひいては思考習得)は決して無声の対象認識から始まらない。この初期に幼児はある事物に対して親の発する声を繰り返して聞き取る。やがて、ある事物と発音とが幼児のなかで1つになる。加えて幼児自らもその事物に対して「ワンワン」などと発声することを繰り返す。幼児の中である事物と発音との関係が学習できる。この過程は我々に識字の基本として根付く。

「で、何が言いたいのよ」とは良いご指摘である。
続けて是非ともお答えしよう。

要するに、ある事物を発話できなければこれの意味を認知できない。それが例えば漢字であるのならば尚更のこと、これが目に映っていながら脳内で音に聞こえずその意味として解らない。脳は常時に省エネモードを旨とするから、意味の取れない漢字を無視する。有り難いことに読めたつもりにしてくれる。この回避策が音読、文字を声にすることから始める事である。

音読すると分かる現象の傾向と対策

音読すると分かる現象は2つある。
1.目に映った文字が音読できない
2.1のそれが音読できるが意味を取れない
以下にそれぞれの対策を述べる。

1.は偏や画数で辞書を調べることだ。読めない漢字がデジタル媒体にあればコピペでもして読みと意味とをネット検索で調べればよい。いずれにしても、読みが解らない漢字は意味も不明であるはずだから意味をも再認識する。例えば「徐に」はこれをどう読むだろうか。またなんとなく読めたとしても正しく読めたのか、そして意味は何か、これらを認識しよう。

2.はこれもなんとなく文脈などから意味が分かったとしても、辞書やネット検索を使って解ったつもりの字義を明らかにする。例えば「著す」だが、これの読みは「ちょす」でない。そして意味は何かと調べてみると「知っていたよ」と後知恵で思うかもしれないが、敢えて調べる事が賢明だ。なんとなくの状態は放置するとやがて知的な暗雲に転じ勉強に災厄となるからだ。

読みや意味を調べるか否かが結果とする事は何か

以上は確認として敢えて述べた。いかがだろうか。例えば「ケッ、面倒くさくてやってられないわ」とご反発だろうか。実際、「慇懃」を辞書であたると、読みも解るが、「ねんごろなこと」と意味づけもみられる。では、「ねんごろ」の意味は何か。何となく解ったつもりならばこれも調べる。「○○○にするようす」だ。そう実に面倒だが、この面倒を避けてはいけない。

上の「慇懃」で言えば、これを調べない人は読み、そして意味を解説する「ねんごろ」とその意味も知る事がない。面倒でもこれを調べる人は、真逆に3つの認識を得る。言葉は大抵が慇懃のように複数の言葉に連鎖する。これにより先の前者は益々知的に貧しくなる。後者はますます豊かになる。ひいては読解の効果において前者と後者との違いはより鮮明になる。

そうして時を経ずとも、上記の違いは参考書や法令集に関する読解の効果性を確認する為の例題や過去問の正解率に明らかな差異として瀰漫する。自ずと合否にも以下同文。1つの言葉に拘わる小さな面倒を避けた者は結果として例えば不合格などの避けがたい大きな面倒を招来する。

そうなる結果が嫌であるのならば先の面倒を託つ自分を変えることだ。しかしその自分を変えることが嫌なら、「勉強が思うように進まない」と嘆く自らの知的水準に対して目を閉じ耳を塞ぎ口を噤んで生きるしかない。これもそしてその生き方が齎す受験の結果も自己責任であるのだから仕方ない。

最後に念を押すが、例えば「句読点」をどう読んだだろうか。うっかり「クドクテン」と読んだのであれば(まさかそれはないはずだが)、それは誤読であるのだから面倒臭がらずに辞書などで態度論でなく実践論として調べる事が肝要である。でなければ君の受験勉強は、知的水準の漸減に由来する苦痛から、やがて自らに「。」を望むことになるだろう。

音読の活用にも健闘を祈る。
Good Luck!!