やるべき事を実行し難い時の対策とは

「マインドマップ資格試験勉強法」改め
「NLP資格試験勉強法」公式ブログ版2024年4月5日号
本誌はNLPの観点から合格を目指せる勉強法を提案します。

合格者は自らがこれ自身になれる勉強を行えた。
NLPはその人たちに共通する型・パターンにも注目する。
合格を目指す貴方にその型を提案することで合格達成を支援します。

有言実行を実践してどうでしたか?

こんにちは。
NLP資格試験コーチの近藤です。

遂に4月、
年度が新しく変わりました。
とは言え忙しさはさほど変わりない。

他方、試験勉強と言えば、この7月や8月に受験の皆さんは、念願の合格が叶うように合格基準を満たせる得点力(不得意科目は足切り点をクリアしつつ、得意科目は総点をできるだけ押し上げる正答率)を向上させることが喫緊の課題に直面しているはず。勿論、「デキるか心配、ヤレるか不安」など心理的な暗雲がそこに漂う。だが大丈夫だ。それは有言実行で解消可能だったから。

ところで想定内であったのだが、
以下のようなお悩みやご異論の絶えることもない。
「有言実行ができれば苦労はしないよ」
「実行したい計画がそうできない自分が嫌」
「やりたいことが山積なのにやれない自分がウザい」

以上は受験勉強だけに限らず、公私でアルアルの「できない・やれない」とした言葉の行列だろう。それに関して皆さんはどうだろうか。なるほど、掌を指すようにその想いを解るよ。資格試験に合格するまで私もその想いを頻繁に抱いたから。しかし、その想いを託つばかりでは受験勉強に限らず公私に亘って念願を叶えることは困難だ。やれやれ、一体どうしたらよいのか。

今回は勉強に関しても不可能を可能に変える方法をご一緒に再確認したい。

結 論

その答えは細分化の細分化だ。できない・やれないと思う対象を更にやればできる大きさに細分化する事だ。それでも、やはりできない・やれないと感じるのならば、できない・やれないと以下同文。やろうと思えば簡単にできる大きさにまで細分化した対象に細分化を加える。斧でも切り倒せない大木の幹でも枝分かれを繰りかえした枝は簡単に折れる。つまり細分化は小枝に分けることだ。

例えば、「今夜も過去問の30問を解こう」と有言として手帳に書いておいたとしよう。ところが、帰宅の間際になって同僚に急ぎの仕事でヘルプを求められそれに応えたためにどっと疲れを覚えた。帰宅して勉強に取りかかろうとするが「疲れて勉強するのって無理かも」と感じ始めたとする。その感覚に飲まれるようでは有言したが不実行になる。「オレ・アタシって駄目だ」と自信を失い兼ねない。

○○するのって無理と思ったその時は

そこで「とりあえずやれそうな量として3問だけ解こう」と最初の対象を細分化をする。十分の一のサイズに対象を細分化して、そうする事を10回繰りかえす訳だ。ところが「それでも無理かも」と思い始めたらば、「とりあえず一問だけ解こう」と細分化をする。3分の1、つまり30分の1にまで細分化をする。いくらなんでも、一問解くのに苦労はしないだろう。

であろうから、とりあえず一問だけを解いてみる。すると、脳は何かをしたり何かができたりした自らに報酬として快感を与える。つまり自らにやる気を覚えさせる。「じゃあ今度は2問解こう」とそのやる気に乗じてやればできる大きさにした実行の対象に取り組む。するとできた・やれた快感を覚えられる。その気持ちに応じて「次は4問解こう」とやればできる大きさに取り組む。

それができれば苦労はしないってどうよ

そうしたやればできる大きさに細分化した対象に取り組むことを繰りかえすことで、当初は不可能を覚えてたい有言の対象を実行できるはずだ。「1問解くのも無理」と感じる場合は、「とりあえず机にむかって過去問集を開こう」とやればできる大きさに実行の対象を細分化しよう。それで机に向かうこと事から始めよう。以上、細分化の細分化をすることはどうだろうか。

「それができれば苦労はしない」とやはりお考えだろうか。仮にそうであるのならば、「『それができれば苦労はしない』と言い続けて合格も目指せるのならば誰も苦労はしないぞ」とそうご発言の諸氏に対して語気を強く申し上げよう。不可能から可能に向かう扉には可能を志すまだ不可能の側にいる人の側にのみ取っ手がある。つまり可能の側から扉を開けないのだよ。

可能に向かう主人公は誰か

可能の側から不可能を可能に転じる事に関して条理を尽くして語りかけることで扉を叩いて声を掛けるような行為はできる。だが、たとえ説得したり強迫したりしてもドアノブは不可能側にしかついていないので、決して可能の側から可能への扉を開いて差し上げられない。不可能側にあって、可能への扉を開こう自己の変革を願い取っ手に手を掛けた人だけが開ける。

加えて、「可能の側には、○○な良いことがあるよ」と利益誘導をして不可能の側にある人を可能の側に引きずりだそうとしても、そこにある人が不可能のハンドルを手放さない限り可能の側へ決して引きずり込めない。利益誘導に呼応して可能への扉を開けるのは、飽くまでも不可能の側にあり真摯に利益そうでなくても変化を望む人だけだ。うん、私はそれに降参、お手上げだ。

不可能を主張して欲しいものって何ですか

そうであるから、「それができれば苦労はしない」と不可能の側に居続けたい人に「『それができれば苦労はしない』と言い続けて何が欲しいの」とお尋ねだけはできる。例えばそれはできないことへの慰めや同情か「苦労をするのはそれができないから」とする正しさだろうか。仮にそれらが手に入ったらばそのどれかは君を心底から充足してくれるのか。いかがだろうか。

そう言えばこんな言葉を想い出した。「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」@草薙素子。「世の中」を「今の自分」と置き換えると気づける事は何だろうか。

『それができれば苦労はしない』と言い続けて合格を目指せますか。
もう、そのシンソウにそろそろ気づいてもいい頃だ。
健闘を祈る、Good Luck!!