イメージを変えると人生が変わる

それは自然なことです。
私たちは何らかに向上心を持っています。
今までとは違う望ましい自分の状態を想い描きます。

例えば、次のように望むでしょう。英会話を習得したい。スリムな体型になりたい。スキルアップに能力検定や資格取得の試験に合格したい。豊かな経済状態や心の通い合う人間関係などなど。では、人はどのようにしてその望みを叶えることができるのでしょうか。

人生は行動を通して変わる

事実、望ましい結果、思い通りの自分自身はそれ相応の行動を通して手に入ります。ですから常日頃にその行動をすることを想いもします。人生はこの世で人が生きる(何らかの行動をする)こと。行動は必ず何らかの結果をもたらします。人生は人の行動による結果の連続です。私たちは行動を通して人生を変えられるのです。

ところが、私たちが人生を変えようと何か行動をしようとする際、
以下のような観念が心に影を落としそれに相応する行動を止めます。
「今さら英会話なんてムリ」
「スリムな体型なんてなれっこない」
「忙しすぎて試験勉強をするなんてできっこない」

観念と行動の関係とは

例えば、上記ような事例として行動を止めさせました。観念は私たちの行動に影響を及ぼします。これは前提、「A→B」と即座に躊躇なく機能する電脳のプログラムと同様にして人脳に作用します。直面した物事に対して先のように機能します。とても生存に有益です。人の祖先がまだ食物連鎖の頂点になかった頃、捕食者に遭遇した時、例えば「虎から逃げるべき」とした観念は彼らを生存させた。

観念は体験を一般化などで抽象した脳内イメージ。脳は体験を視覚や聴覚の知覚情報としてこの神経網で認知処理します。例えば視覚に関して明度や彩度など特徴的な感覚の副要素に限ってイメージ保管します。膨大な情報の体験そのままをアーカイブせず先のメモリ処理で省エネをします。脳重量は体重の約2%ですが、1日に人の必要とするカロリーの約2割をも消費するからです。

ご先祖様たちが発達させてきた脳は、例えばライオンと戦って傷つけられたり仲間が捕食されたりした経験を抽象して、「ライオンは恐いので避けねばならない」とする観念つまり脳内イメージを生存戦略として有用なことから絵や言葉で互い伝え合い集団的に記録保存した。その結果である現在の私たちは体験から観念に関わる脳機能も種として継承しています。体温や呼吸などを無意識下で維持する脳機能と同様に無意識下で様々な観念は働くいわば潜在意識の1つです。意識と潜在意識との力関係からして私たちに実に強い影響力を良くも悪くも発揮します。

観念を変えように行動すると

良くも悪くも観念は人の行動を左右する。「できない」「なれない」とした観念はこれに相応したできない、なれないとするこれに沿った消極的な行動を生みます。それと逆の「できる」「なれる」とする観念はこれに対応した積極的な行動を生みます。であるのならば、行動を変えるにはこれの元である観念を変えれば良さそうです。では、ある観念を変えようとこれに相反する体験をしようとすることはどうなるでしょうか。

観念は、ある事に挑んで成功したり失敗したり、物事に関して可能性や不可能性を見聞きしたりした体験の抽象物でした。よって「できない」「なれない」という観念は、例えば「スリムな体型になれない」とする観念を持つ人が「やればデキるんだ」と精神論的に痩せられる運動をして、「できた」「なれた」と言える体験を積めば変えられそうです。

しかし、それを積む前に変える対象である観念は、例えば「スリムな体型なんてなれっこないから、『運動するなんてムリ』」と、人脳のプログラムとして躊躇なく作動します。逆に、なんとかして運動を継続してやっとスリムな体型になれたとしても、体型を維持する運動を続けさなかったり、「痩せたご褒美にスィーツ解禁」と体型維持を阻害する食習慣を復活させたりして、「やっぱオレ・アタシって『スリムな体型を維持することなんかできない』」と観念はこれ自体を証明するかのようにも働きます。

そのようにして、観念は自らの働きを制限的から解放的に転じるに役立つ体験を人がすることを大いに阻害します。まるで自己防衛をするかのように振る舞うのです。つまり人に良くも悪くも「望ましくてもまだ知らない(危険かもしれない)状態になるよりも今のままが良いよ」と現状維持させるかのように機能します。「変えたいのに変えられない」と言う板挟みに私たちは陥ります。

それに加えて次のような事さえあるかも知れません。
「やはり今さら英会話なんてムリ」
「どうせスリムな体型なんてなれっこない」
「忙しすぎて試験勉強をするなんてマジできっこない」
変えようとした観念をそう再確認して強める可能性さえあります。

そう言えば、以前のことですが、否定的な観念を肯定的なそれに転じる為に効果的だとされる非日常的な体験、例えば数メートルの長さで赤々と燃えさかる木炭の上を素足で歩く火渡り、それができるワークショップが開催されていました。その火渡りをした私の体験からいえば、「凄いことができた」実感を得ながらも、一方で「日常的の自分を変えるには非日常的な自分の体験が必要だ」という別の制限的な観念が生じそうだとも思ったのです。普段の自分は日常的な何かをするとこで絶えず簡単に変わっていけるに越したことはないのだから。

観念を変えられる方法とは

では、観念を体験を介さずに有益に変えることはどうすればできるのか。観念の変革はこれを意味するイメージを変えることでできます。観念は体験を抽象したイメージでした。人脳は体験とイメージを同値に反応します。実際、イメージは前提的、つまりプログラム的に働きます。例えば、レモンを鼻に近づけそれを囓るイメージはそうする体験と同じように嗅覚や味覚を人脳に知覚させます。

NLPはイメージを変えることでイメージが抽象された観念を変られます。私たちの観念が変われば、行動の前提が変わる訳ですから、自らの行動が変わります。例えば、「スリムな体型なんてなれっこない」から「スリムな体型になれる方法を実践できる」へと観念が変えれば、それに伴ってその方法を自然と実行できるでしょう。その行いは体型に望ましい成果をもたらす。NLPは左記のようにして人生が変わる方法で私たちを支援します。

NLPのイメージを介した方法は心的な抵抗を起こさない配慮の下、脳が短時間で学習できる機能を活用してイメージを短時間で変えることにより円滑に観念を変えます。望ましい状態を目指す事に無益な観念の力が弱まり有益な観念の影響力が強まるように、それぞれの観念を構成するイメージの構成物である感覚的な要素を瞬時に変えます。私たちはこうしてイメージを変えることで行動を左右する潜在意識の1つ観念を変え、こうして行動を変えた結果として人生を変えられます。イメージを変えると人生が変わるのです。

イメージを介して制限的な観念を変える方法とは何か。
そのご案内は更に項数を要して長くなりますので次に項を改めます。→→→ 信念の変化パターン