【couldやwouldはサブモダリティで解る?!】

それは謎だった。
僕の心にずっと引っかかっていた。
「喉に刺さった小骨のように」とは将にその様子だった。
「言葉にサブモダリティがある」とある場で耳にした一言だった。

因みにサブモダリティはモダリティのサブ的なもの、つまり感覚の副様相だ。例えば、モダリティ・様相の1つである視覚は、サブモダリティ・副様相として多くの副様相を持つ。その一部はこうだ。

  • 明るさ:暗い・・・明るい
  • 色 彩:無彩色・・・有彩色
  • 距 離:遠・・・近

その時にたしか「ナニ訳の分からないことを言ってんの」とその謎に疑念も抱いた。だが「なんのことだろうか」とそれから折に触れてそれを考えてきた。それは視覚や聴覚など感覚に関することであるのならば納得できる。言葉はモダリティでないと考えればこれに副様相があるのは意味不明だ。以上のような思考の堂々巡りを一昔前から続けてきたのだった。

英語の時制に係わる認知は雷のように

転じて過日の事だった。
英語学習の動画を猟歩していた時である。
何故だか興味を覚えて見始めた動画がこう述べた。

「過去と現在とは『距離感』がある」

上の前者と後者は「現在過去未来 あの人に逢ったなら」と古い懐メロも歌った英語の時制その2つだ。そこに英語の母語者は距離感を覚えると言うのだ。その英語の時制に係わる認知は雷のように僕の脳裏をよぎった。その衝撃は次の想いとして僕の脳裏をよぎった。

「ん、『言葉にサブモダリティある』とはこのことか」

振り返ると冒頭の言説を耳にした場はNLPの講座だった。ご案内の通りNLPの創設は英語の母語者になされた。冒頭の言説に「英語」と「距離感」付記してみるとこうだ。更に整理してみた。

『英語の言葉にサブモダリティ、距離感がある』
「英語の話法で時制の過去と現在に『距離感』がある」
すると冒頭の言葉がストンと腑に落ちた。

転じて日本語はどうか。例えば、「ランチに行かない」と僕に友人が声を掛けたとする。「もう飯食った」と私が返したとしよう。すると、友人は僕の過去に食事を終えた事とその結果である現在に昼食が必要ないと解釈できる返答との間に繫がり、因果関係を自然に捉える。日本語は時間軸上で過去と現在の間に分離つまり距離感でなくこの母語者に連続性を自ずと覚えさせる。だが、英語は時制でいう過去と現在に距離感を話者に覚えさせるのだ。

現在の時制で使うcouldとは

そう言えば、「英語ネイティブは誰にも近しげな物言いで無礼」と言うが、現実は決してそうでない。実際、現在の時制で「can」過去形の「could」を使った丁寧な表現を使うがこれは何なのか。

NLPでメタモデルの対象でもある「can」は叙法助動詞で話者の考え・気持ちのうちに可能性を示す。これを過去形の「could」にすれば「距離感」の副様相を含意させうる。距離を置かない近しい相手とのため口でなく、自分と相手とに間を置いたつまり丁寧な言い方で以下のよう発する訳だ。

Could I borrow your pen?
(あなたの本を借りてもいいですか?)

同様にして、「will」の過去形である「would」は意志に距離感を含意できる。としてみると、現在の時制で用いる助動詞の過去形を用いた以下の様な表現は、丁寧な換言すれば将に相手に気遣いをする遠回しな言い方だと納得できる。

Would you mind if I opened the window?
(窓を開けてもよろしいですか?)

助動詞の過去形がサブモダリティで解る

以上のように、英語で助動詞の過去形がサブモダリティ的な距離感を含意するとしてみると、日本語の母語者が英語学習に際して難解さを覚えがちな助動詞の過去形が絡む未来の時制で使われる話法や英語ネイティブが多用する話法他のも理解しやすくなる。サブモダリティ的にみると前置詞も同様だ。それらに関しては機を見て順次に述べたい。

最後に、「過去と現在とは『距離感』がある」と述べた動画は連作の1つだ。その連作は以下にご紹介する書籍となっている。その310項から313項をご覧あれ。「NLPって関係ない」「サブモダリティって知らない」方にもご納得のいくことだろう。

がっちゃん英語 キミに読ませたくて創った文法書