「マインドマップ資格試験勉強法」改
「NLP資格試験勉強法」公式ブログ版2025年10月24日号
本誌はNLPの観点から合格を目指せる勉強法を提案します。
合格者は自らがこれ自身になれる勉強を行えた。
NLPはその人たちに共通する思考と行動にも注目する。
本誌で合格を目指す貴方にその神髄を提案して合格を支援します。
デシラで進める速くて効果的な読書法はどうでしたか
こんにちは近藤哲生です。前号は速くて効果的な読書法をご案内。その目的は速読でない。そうでなくて合格を目指す勉強に有用な「速く」かつ「効果的」な参考書や法令集の読書法つまり読解法の習得。決して目前の文章を目に写しただけで読解した気分になるのでなく、それを読み論理的に解してデシラ解消に役立てること。
その目的の下、資格試験の合格に資する頻出問題(これに正答する者はこれを得点源にできて自ずと合格基準を満たせるもの)で自分がその解き方を知らなかった「デシラ」から試験によく出る問題だから正答できるようにその解き方を充分に知った「デシル」に変える。その方途として前回の読書法をご案内した。
受験の目的はいずれにせよ合格。その目的から勉強は真面目やキチンそして正しく行うのでない。仮にそうしても不合格だったらそれは自己満足だから。そうではなく断じて「合格基準を満たせる」ようにするもの。資格ごとに合格基準には異なるが設定された科目の得点とそれらの総点とで合格点を獲得できるように行いたい。
秋風と共に心に吹き込む隙間風
勉強に励める時期にも悩みやご相談が後を絶たない。
「以前の事を悔やんで勉強に集中できない」
「職場の人間関係がストレスで勉強から気がそれる」
「また不合格になりそうな不安で勉強に手がつかなくなる」
それは合格まで長期を要した経験からして実に頭の痛い様子だ。
過去の出来事は様々にして胸中に去来し心は千々に乱れる。例えばそれは学生時代に遭遇した失恋や虐めや教師からの理不尽な叱責。職場の人間関係は無根拠な陰口や執拗な嫌がらせ加えて日常的なマウンティング、加えて陰湿な先輩や保身に注力して部下が二の次である上司の言動。これが職場の日常茶飯事ならばウンザリだ。
加えて再受験生にありがちな心の揺らぎは殆ど根も葉もない「また不合格かも」とする心のお喋りだ。これは以前の受験で直面した過去問にまたしても誤答したり、以前に読解した筈の法文を誤読したりすると、心のなかで高い暗示効果をもった囁きで「また・・・」と執拗に繰りかえされる。「止めてくれ」と怒鳴りたくなる。
勉強の集中に絶好の時期、それにもかかわらず上記のような状況にある受験生の苦悩は筆者の経験からして察するに余りある。根性や気合いなどの精神論でそれが克服できるのならば、受験生は誰もが苦労はしない。しかし放っておけば、秋風に舞い散る木の葉の如く散逸する訳でも無い。さてそれらをどうしたら良いのか?
「どうでも良い」を旨として机に向かう
それが「どうでも良い」と考え行動する習慣だ。どうでも良いは決して投げやり、いい加減、テキトーなどの無責任でない。そうでなく執着しない態度や積極的に執着の対象を自覚の下に解き放つ積極思考だ。加えて「いま私はそれに執着している」と自覚し自らを許す。その思考を基盤とした具体的な勉強への取り組みである。
では、何故に、執着を手放し且つ時に執着する自分をも許可(そうする自分も手放し、リリースして自分を解放)するのか。それは合格を目指し「今ここ」で「できる全てを全集中して行う」為だ。私たちが不能である対象は過去と他人との出来事だ。過去と他人は断じて変えられない。どう足掻こうが決して変えようがない。
それに拘わらず「あの時にこうすれば良かったのに」「あの人ってなんでこうしてくれないのよ」と私たちは思い悩む。だが、そうしても実際にあの時は決して不変で、そう望んでも期待は別称としての失望のままだ。変えられない事実と失望の闇に希望の光を見出そうとする拘りは酸が金属を腐食するように心を疲弊させる。
その疲れから我が心を解放する方法はそれらへの無執着。つまりそれらを手放すこと。だってそれらを握りしめていても何らも得るところが無い。何かを握り締める心は、既に満ちたコップに新しい水を注げない事に似て、新たに何か有益なものを入れられない。だが、変えられないものを手放した心は有用なものを手に取れる。
「で、結局どうするのよ」とは実に良い質問だ。本誌は意欲ややる気に関して態度や心構えを変えるといった精神論でなく、習慣をしてそれらを改めるとしてきた経緯からして、「どうでも良い」を言葉の提示にと止めずに「今ここでできる全て」として行動の水準で展開する。今ここでできる全ての実態が行動であるからだ。
過去と他人をどうでも良いとできる勉強法とは
それは決して意欲ややる気など、空に流れゆく雲のように変わりやすく制御し難い感情的なことでない。自らがやればできて合格を目指す為に有用な様々な行動として自らが取り得る勉強法だ。この勉強法は過去と他人に関わる出来事から今ここで行いたい行為(参考書を読解したり過去問を解き直したりする)に集中する方法だ。
ではそれをどのように展開するのか。そもそも変える事が不可能な過去と他人へと心がふらふらと彷徨うの訳は、心が集中すべき対象を持たずに暇だからだ。そう直言すると「人の心が解らないのね」とご立腹の向きがある。だが、例えば最近も衆目を集める腹を空かせ唸る熊が目前に起ち上がった状況にあったらどうだろか?
「オレ・アタシは昔の事が気になって無理」などと悠長な心もちでその場に立ち尽くすだろうか。そうするのではなく、目前の事態から我が身を守ろうと目を見開き聞き耳を立て全集中するはず。心は決して暇でなく、状況の対処に忙しく働くのが道理。受験に置き換えれば、不合格と言う危機に対処できる全集中の行動を行う。
例えば、「職場のあの人があんなことを言わなければ」と非生産的な事実を考慮すれば「どうでも良い」にすべき出来事に心が彷徨い始めたらこうする。一文字一文字を明確に捉える視覚とそれらを明確に発話する聴覚とそれを指で明確になぞる触覚、以上全てを全駆動する必要を生じせしめる音読を参考書や法令集を行う。
その全集中を要する音読は5分程度で充分だ。東北大学で脳神経学、特に音読の脳神経に与える多彩な肯定的な効果に関して様々な知見を公開してきた川島教授によれば、これが脳活動に及ぼす影響を「脳の全速力百メートル走」とされるて脳を全駆動できる行為。つまり決して脳を暇にせず今ここに在らしめる勉強法だ。
全集中の音読をした後は
論より証拠で実際に行うと実感できる心模様は、心が決して暇になれない音読を行うながら「次の受験も不合格かも」等とする「どうでも良い」ことに心が乱れる事など全くあり得ない。全集中の心理状態だ。「集中するぞ」等と思う必要がなく脳機構からして水の流れる様に心は集中と言う勉強に最適な心の池に流れ込む。
勿論その全集中の音読をした後に過去問を解くなり視聴覚教材で勉強するなりすれば良い。しかし、その音読を更に効果的にする為にお勧めできる行為はアクティブリコール、つまり音読した内容の暗唱だ。と言っても一字一句を正確に再現することでない。そうではなくて音読した内容を自分の言葉で声に出して説明する。
そうすることで、先の音読は心をどうでも良い過去や他人の事から「今ここに」に集中させるだけの脳トレ以上になる。これが対象にした参考書や法令集の要点に関わる記憶を強化する前段になる。そもそも音読はこれを継続することが記憶の年齢的な若返をもたらす効果を発揮する故に音読後の暗唱はその効果に加勢する。
音読した要点を暗唱できないその時は
一方でその暗唱は「ゲッ読んだ要点を思い出せない」とした驚きを時にもたらす。仮にそうであっても「ヤッパ学生時代から勉強できなかったからな」等とどうでも良いことに頓着する心もちは無用の故にこれの一切が排除されるべきだ。それに執着する暇があったら、音読の再試行して暗唱できなかった箇所を補えばこと足りる。
「さあ集中して勉強しよう」と言う時、心がどうでも良いことに彷徨うなら、視聴覚と触覚を総動員した音読とその後の暗唱とを定型として実践する。つまり勉強開始時に於けるルーティンにすることが、能力開発系の動画が注目するフロー状態をもたらす為にどうでも良いことに心が汚染されない為の強力なワクチンになり得る。
尚、再確認しておくが、確かに脳神経学の知見からして音読の対象は新聞の社説でも小説の一節でも或いは英文のワンパラフレーズでも脳活性を起動する効果を発する。しかし、上記の音読は試験勉強の初期に確認したデシラを解消する為にこれを行えるに越したことはない。デシラの過去問を正答にできる知見を得るために行おう。
勉強以外でクヨクヨする時は
「でも勉強をする時以外でもクヨクヨするのどうするの」とお考えかもしれない。もしそうであっても、行うことはこれの対象に知覚を総動員する方法だ。目に映る対象をボーッと見ない。耳に覚える音を聞き流さない。手に触れる対象に何となく触れない。そうでなく見るものを視て、聞くコトを聴いて、触れる対象を感じる。
例えば、掃除や片付けをしている時、どうでも良い過去や他人に思い悩み始めたら、掃除機の動きに注目しその音に聞き耳を立て掃除機の握りに気持ちを向ける。散らかした本や雑誌、クッションなどを整理整頓するなら、手にあるモノの感触を指に覚え、置きたい場所に収めたかをよく視て、気持ちよく整理できたかを心に聴く。
「それってマインフルネスなの」とお考えならご賢察である。カタカナ言葉だと最新の現代的な心理技法の様で実践するに難しそうだ。でも、その実は古来うちの国に茶道や香道など道として伝わってきた伝統的な「今ここ」に我が心を安んじる修行法。これを勉強も含めて日常的行為に適用する。どうでも良い事をそうとできる。
過去と他人はどうでも良いに貴方がなれますように。
GoodLuck!

